勇気を持って休める人・休めない人

カテゴリー: コラム | 投稿日: | 投稿者:

スポーツジムに行き始めて、驚いたことがありました。
更衣室の壁に『体調が悪かったら勇気を持って休みましょう』と大きく張り紙がしてあるのです。

見た瞬間、私は本当に疲れたり体調が悪ければ、言われなくても休むし、大人しかいないジムで、こんな大きく張り紙をする必要があるのかな?と最初思っていました。

ところがジムの方いわく、日本人は具合が悪くても、一旦やると決めたら休むことに罪悪感を感じ、無理にでもやろうとしてしまう人も多いそう。
でも、こんな張り紙を貼らなければいけないのは、世界中で日本人だけだろうとジムの方もおっしゃっていました。たしかに・・・。

そう言われてみれば、日本人は、無理をする=頑張っている、
と思ってしまいがちです。

自分の健康のために行っているはずのスポーツジム。
それなのに体調が悪くても、具合が悪くても、やるべきことを休むことに罪悪感を持って、頑張る事が大切だとどこかで信じて、さらに具合が悪くなる。

思い返してみれば、これはカウンセリングやヒプノセラピーで、クライアントさんと話していても、よく感じる事と同じだと気付きました。

こういう方は、スポーツジムでだけではなく、日常生活や仕事の場でも同じような事を、自分に課しています。
疲労困憊しているのに、できない自分にムチ打って、どんどん色々な事を自分にさせてしまい、ますます疲労困憊していく自分や、出来なくなっていく自分にイライラする。

これを、客観的に見てみるとどうでしょうか?

もしあなたが、疲労困憊してる誰か(もしくはペットなど)にムチ打って、色々やらせて、ますます疲労困憊して具合が悪くなるのを見てイライラするとなれば、きっと虐待だと思われても仕方ありません。

でも、自分自身に大しては、結構平気でそういうことをしている人がいます。

そして、そのような心身への負荷が多くなり、降ろせない状況になると、もともと誰にでもあるマイナスの性質(苦手なもの、不得手なもの)の現れ方がひどくなる傾向が見られます。

そして、最後は鬱症状が出たり、もともと苦手だったものがますます苦手になってしまたり、少しだったあがり症がもっとひどくなったりと、どんどん思わぬ方向に向かっていってしまうことに。

もしかすると、やらないことのほうが、時に(日本人にとって)最も難しいことかもしれません。
そして、もしできなかった場合には、その後、自分を責めて時間を使ってしまいます。

それでは、その時間表面的に休んでいるようで心身は全然休まっていません。それは休んだ罰を受ける時間になってしまうからです。

無断で仕事を休んで他人に迷惑をかけろとか、いい加減になれという事ではなく、時に疲れる時、辛い時、具合が悪い時は誰にでも訪れます。

疲れて休めたなら、それは、今の自分自身をRespectしているということ。

そんな時は、自分を尊重して、もっと自分に優しい時間にしてあげましょう。

そんな時まで、休んだ罰を受ける時間になっては、自分の心身が追い詰められてしまって「窮鼠、猫を噛む!」ということに繋がってしまいます。

でも、なぜ疲れたり辛くても休むことに罪悪感を感じてしまうのか?
なぜ無意識に繰り返してしまうのでしょうか。

もしかすると、そんな自分が出来上がった最初の場面(原因となった場所)に戻る退行療法で、一度、原因を突き止めてみるのもいいかもしれません。


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