前回コラム「褒めて伸ばす!」の落とし穴!子供を褒めて活かす親、殺す親
は、色々な方から反響を頂きました。^^
(このコラムは前回の続きなので、まだ読んでない人は、上記コラムからどうぞ)
褒める事=よい事、前向きな事、ポジティブな事
とだけ思っている人は、
長い目でみると、意外と人を傷つけているかもしれません。
実は、人間関係において、
「褒め方」ほど難しい。
変な影響を与えない褒め方のポイントは、
実はたくさんありすぎて、
次に何を書くか悩んでしまったのですが、
大人になってからも
「自分に自信がもてない」
という相談によく出会う私としては、
「子供の自信を無くす、(よくある)親・教師の褒め方」
について、書いてみたいと思います。
あなたの褒め方は、本当に大丈夫でしょうか?
そして、褒められる事で、
あなたは無意識に、自信をなくしてきたのではないか?
読みながら振り返ってみてくださいね。^^
年齢退行療法で、日々多くの事例をみていると、
大人は「子供に常識を教える」「正しい事と間違っている事を教える」
というような名目で、
「子供に嘘を言わせた上で、褒める事」(によって、コントロールする)
が、案外よく行われていることに気付きます。
たとえば、年末年始など親戚の集まりがある時に、子供が
子「ぼく、おじいちゃんなんて嫌いだよ。だからおじいちゃんの所に行きたくない」
親「そんなこといっちゃだめでしょう、おじいちゃんは、あなたを想ってくれてるんだから」
子「いやだよ、僕はおうちにいる」
親「何いってるの!わがままいうんじゃありません」
子「やだ~。僕おじいちゃんが嫌だもん」
親「いつもみたいに、お爺ちゃんお年玉くれるわよ。さあ行きましょう」
子「お年玉なんていらない。お爺ちゃん嫌いだもん」
親「お爺ちゃんに失礼でしょ。お爺ちゃんが嫌いだなんて言ってはいけません!」
子「嫌いなもんは嫌いだもん」
親「いい加減にしなさいっ!そんな事、もう二度と言うんじゃありません!!」
(出かける直前で、イライラして手荒に服や着させて準備をさせたり、
そんなこと言うならひとりで家に置いていくからね、と脅したりする)
子:(怖くなって、これ以上怒られたり責められないために
「ぼく・・・お爺ちゃん、嫌いじゃない・・」
子「そうよね!○○は、お爺ちゃんのこと本当は好きなのよね~」
(と機嫌よく頭をなでて褒める)
こうして、
子供は、
「自分の本当の気持ちを言うと責められる」
「偽りでも親が聞きたい事をいえば、親はそれを喜び、自分を褒めてくれる」
と学んでしまいます。
例えば、大人の
「お爺ちゃん嫌いだなんていったら許しません」
は、世の中の善悪や常識を教えているしつけだ!
と思ってやっていることですが、
年齢退行療法を見る限り、
子供は、(大人からはそうは見えないような)一度のショックな経験を通して、
自分を守る為に「何か」を思い込みます。(=自分ルールの出来上がり)
そして、それは三つ子の魂百まで!
大人になっても、誰かに本当の気持ちを言うより、
相手に気にいられる事を言おう、と(無意識に)影響を及ぼし続けるのです。
その思い込みは、無意識の自己防衛として生涯働き続けてしまいます。
(これが無意識の反応のちょっと恐ろしいところです)
つまり、大人の「子供の為に」が、
子供の人生に、全く予想外の結果をもたらしているわけです。
それでは、子供が
「先生なんて嫌いだ」
「お父さん/お母さんなんて、嫌いだ」
「学校なんて行きたくない」
「勉強なんてしたくない」
「ニンジンなんて食べたくない」
こんな時、どう反応したらいいのでしょう?
まずは、人間の感覚を、
善悪とか、こうあるべき、だけで捉えない事!。
例えば、何かを食べて、あなたがそれを美味しいと思うか、
まずいと思うか?その食べ物が好きか嫌いか?
それは、その人の感性の問題で
「高い食材だから美味しく感じるべき」
という事はないはずです。
たとえ
「それは高い食材だから、不味いなんていってはダメ。高い料理は美味しいのが常識でしょう!」
と誰かに言われても、あなたがまずいと感じたものは、あなたにとって不味いのです。
それと同じように、何かを&誰かを好きとか嫌いというのは感性なので、
理性で無理やり変化できるものではありません。
それを相手に言うかどうか?は、
相手を傷つける可能性もあるので、
それは理性でコントロールできる範囲ですが、
自分が好き・嫌い、美味しい・不味いと感じている感覚そのものは、
それはそれとして受け入れるしかありません。
そして、そんな
「自分の感覚を信じる事」
=「それが他の人と違っても、自分はこう感じるんだと認められる事」
の積み重ねが、
人生を選択する際に「自分を信じる事」=「自信」、となっていくのです。
それでは、先ほどのケースに話を戻します。
先ほどのケースは、しつけとか常識という名の下、
いきなり相手の感性・感覚の全否定から入っていました。
しかし、相手の感覚(感じている事)を誰かが否定しても、
感覚そのものは変化させられないのですから、まずは
「そうなの、おじいちゃんがあまり好きじゃないのね」
と、一旦うけとめ、
「なにかが嫌だったのね?何がいやだったのか、教えてくれる?」
と聞いてみる事です。
そうすれば
子「おじいちゃんは、○○は男の子だから泣いちゃダメだって言うんだ・・」
親「そうなの、泣いたらダメだっていわれたのね」
子「うん、だけど僕、時々泣いちゃうから・・・」
親「怒られるかもと、心配だったのね」
子「うん・・・」
と謎がとけるかもしれません。^^
「常識的に良くないからと、自分の感情を無いものとされるか」
か
「まずは自分の感情をそのまま受け入れてもらえるか」
その対応の違いで、その子の自信が育つかどうかが決まってきます。
自分の感覚は感覚のままとして、
そう感じたんだねと言って分かってくれる人がいると思うと、
なぜか立ち向かう勇気が出てくるのも人間です。^^
実は、こういう時のとっさの対応は、大人自身の生き方、考え方、そのものだと思います。
あの人を嫌いと思ってはいけないのに、
嫌いと思ってしまう自分って心が狭くて嫌な人間かも・・・
と思って自分の感覚を善悪で裁いている人は、
子供が誰かを嫌いをいう事を善悪で捉えて反応しますので、
ありのまま受け止めるのは難しいはずです。
大人が、親が、教師が、自分の感性・感覚に、日々どう反応しているか?
自分の感覚に善悪をつけたり否定して抑圧しているか、
ありのままを受け入れて自分らしく生きているか?
それは、とっさの反応に反映され、
小手先テクニックだけでは、
到底太刀打ちできない世界、なのだと思います。^^
自分の「あり方」「生き方」「考え方」そのものが、
子供に鏡のように映し出されてくる
そうなると、
子供をどうこうする前に、
自分の「あり方」「生き方」「考え方」をしっかり内観し、
自分が日々どう生きるか
それが日々問われる意味でも、育児は育自なのかもしれません。^^
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