桜の見方で、思い癖が分かる?の巻

カテゴリー: コラム | 投稿日: | 投稿者:

春は桜の季節。
駅から氷川台セラピールームまでは、ずっと桜並木。桜のトンネルの下を歩くと、今は花吹雪が最高に綺麗です。

人間も自然界の生き物ですから、誰の人生にも桜のように、四季や季節によって変化があります。

ただ、そんな同じ変化を体験しても、人によっては全然違う感じ方をするなぁと感じます。
それを、ざっくり大きくわけると2タイプ(2モード?)に分かれるようです。

A)桜が咲く前は「わあ、つぼみがでてきた」「つぼみが赤くなってきた」と咲く前の時間を楽しみ、満開になれば「なんて綺麗なんだろう」と、その瞬間を全力で味わい、桜が散り始めると「桜は散り際が、最高に美しいなぁ」とうっとりため息をつくタイプ。

B)桜が咲く前は「なかなか咲かないなぁ」と思って桜を見つめ、満開に咲いてしまうと「この綺麗な状態は、いつまで持つのだろうか?」と終わりを考えては不安を感じ、散り始めると「桜はすぐに散って切ないなぁ。なくなるのは明日だろうか?あさってだろうか?」と思って心配になるタイプ

AさんとBさんは、同じ桜を見ているのに、相当違う時間を過ごしていますよね?

これは人生の縮図。
AさんとBさんが、たとえ同じ人生だったとしても、それぞれにとって、その人生は、相当に違う解釈・経験になっていることでしょう。

それでは、同じ経験のふたりを、何が分けているかというと、それは「思い癖」「捉え癖」。

桜は人生のたとえですが、Bさんにも、桜が咲くという、素敵な出来事が起きています。

でも、目の前で起こっている事と関係なく、常に満たされず不安で心配な気持ちで生きているBさんには、桜が咲いても、良い事が起きても、常に不安で心配です。

この思い癖があると、良い事が起これば、安心!という捉え方にはなりません。
「始まらないから不安に」「始まったけど心配」「終るんだと不安」
こうなると、金太郎飴のように、どこを切っても不安・心配ばかり。悲しくなってきても無理はありません。

こうなってくると、綺麗な桜さえも、なんだか不安を感じる要素になりかねないのです。

「現実」「出来事」「現象」を、意味づけをし、解釈するのは自分次第。

よく「今を大事に生きる」「この瞬間瞬間を生きよう」とか言いますが、
人生が、幸せの金太郎飴になるか、不安の金太郎飴か、
いまこの瞬間、あなたの人生はどちらになっているでしょうか?

すでに幸せの金太郎飴!という人は、そのままGO♪

でも、もし「最近、不安の金太郎モード入ってるかも?」と思った人がいたら、桜が散った後、ぜひ青々とした若葉を見つめてみてください。

「桜は散ったけど、今度は若葉の緑が綺麗だなぁ」
と感じる心があったなら、
幸せの金太郎飴モードは、すぐ自分のもとにやってくるのではないでしょうか(^-^)


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