自分を束縛するという事

カテゴリー: コラム | 投稿日: | 投稿者:

他人はもちろん、自分自身にさえ縛られたくないという人に時々出会います。

確かに「自分が自分自身に縛られる感覚」は、誰にでもあるかもしれません。

ダイエット、仕事、学業、結婚、その他何でも、何かを決断をすると、それに伴って、自分の行動は制約されます。

たとえば、高校1~2年に、憧れの○○大学へ行きたい!行こう!と決めたとします。
そうすると、その大学が高い目標であればあるほど、入るために、早い時期から日々の勉強を積み上げる時間が必要になります。その時間は、まさに自分の決断に縛られた時間。
みんなが遊びに行くのも尻目に、自分は「いや、あの大学に入るためには、ここで遊ぶのはやめよう」と日々決断する、それはある意味、自分の決断に制限された生活とも言えます。

一見「自分自身が縛られる・制限される生活」というと、相当マイナスのイメージです。
ただ、私が色々な人と話していると、自分の縛り方には2通りあると思います。

ひとつめは、自分の能力や可能性を高めていくために、自分自身を縛ること。

例えば、スポーツ選手や音楽家等の日々の努力と鍛錬は、まさにそれ。
家事や仕事でも、自分の能力をもっと高めようと決めて、何か努力し続けるのも同じこと。

この束縛には、必ず目標となる姿と、日々の行動(To Do)の積み上げが含まれています。

そして、ふたつめは、自分の能力や可能性を制限するための、自分自身を束縛です。

「私になんか、出来るはずがない」「きっと無理」「努力するのはめんどくさい」
だから「しない」「やらない」「諦める」という縛り方です。

例えば、ダイエットは大変だから諦める。頭が悪いから、進学は無理。毎日運動するなんて、しんどいから出来ない。

この束縛は、目標となる姿が決まってないのが特徴です。

でも、これも立派な「自分への(無意識な)束縛」であり、1年後2年後になれば、確実に効果、そして結果を出しています。

ただ、目標にコミットしないことで、結果的に逆方向にコミットしてしまっている事実を見落としがちで、気がついていない人が多いだけかもしれません。

「自分に縛られる」を、「コミットする」と言い方を英語に変えてみると、よりどちら方向に向かっているのか分かりやすくなってきます。

ひとつめはこうなります。
「~を出来るようになるため、毎日(毎週)~することにコミットする」

ふたつめはこうなります。
「~するなんてしんどそうだから(大変そうだから)、毎日(毎週)出来ない自分にコミットする」

あなたはどちらでしょうか?

自分への束縛を、
能力や可能性を伸ばす方向に(意識的に)使っているのか、
それとも
能力や可能性を制限する方向に(無意識的に)使ってしまっているのか。

思うに、自分が自分自身を「束縛する」「縛る」ということから、完全に逃れて生きている人はいないように感じます。

一見マイナスに見える「自分を縛ること」。

それも、使い方と方向性によっては、すごいパワーになるのかもしれません(^-^)


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