● 年齢退行療法 24歳 Fさん

カテゴリー: クライアントの声|個人セッション | 投稿日: | 投稿者:

(補足:Fさんは精神科に通っており、主治医の受療の許可が出るまで半年間待った方です。半年後、症状を見たうえで主治医から許可が出たため、受療されました。)

改めまして、昨日は本当にどうもありがとうございました。

ゆっくりと眠り、1日経ち、大分気持ちもまとまったので、メールをさせていただきます。

初めのカウンセリングから、催眠に入った時のこと、最後に意識と無意識の統合や自分自身と向き合うことについてのお話まで、本当に、桧良手さんの色々なお心遣いがあったからこそ、とても有意義で心地のよい時間を過ごせたのだと思います。

(セッション当日まで)普段は、薦めていただいたCDで瞑想の練習をしていましたが、実際に1対1で催眠に誘導していただくのは初めてだったので、初めは「うまく入れるかな?」と少し心配している気持ちもありました。

でも、実際にセラピーが始まると、緊張していた気持ちがすっと軽くなっていくのを感じ、頭を右に、左にと動かしているときには、とても頭の力が抜けていきました。

セラピーでは、懐かしいグラウンドに戻った時、中学時代の自分の姿と友人の姿がありのままに浮かんできました。中学のグラウンドから校門を経て、自宅に帰るとき、当時の苦しい気持ちがよみがえってきて、自宅に入ったときには、とても寂しい、孤独だという気持ちで、涙が出そうになりました。

わたしが一番辛いと感じていたところに戻った時、それは、今まで鮮明に思い出せないようにふたをしていた部分だったにも関わらず、鮮明にそのときの情景と感情を思い出し、涙が止まらなくなりました。

いつも昔のことを思い出すときには、どこかで母のことを責めていたように思いますが、セラピーであの時に戻った時、素直に「辛いのに助けてあげることができなくてごめんね。」と言っていました。
そして、母、そのときの私、現在の私の中に交互に入っていったとき、当時の何もできなかった自分と、母を、認めることができたように感じました。

そして、自分と母を認めることができた後、最後に未来の自分が見えた時、わたしは、今の自分からは思いつかないくらいにとても安心して、きらきらとしていました。

中学時代は、家に帰ったときに、母や姉が喧嘩をしていても、それが日常だったので、いつも自分の感情を鈍磨させていたように思います。一番辛いと感じたその日も、どこかで感情的な自分と冷静な自分がいて、分離しているような感覚を抱いていたことを思い出しました。

そして、その分離したままの感覚をセラピーの当日までずっと持っていて、そういう自分の過去が自分の闇の部分であって、人には理解してもらえないんだという孤独感につながっていたように思います。
同時に、当時、辛かった思いを言えなかった母に対して、マイナスの感情を抱くことも多かったと思います。

でも、今は、辛かったことは確かにあったけれども、それが今の幸せを奪うものではないという確信が生まれました。
時には、マイナスの感情を感じることも、ひょっとしたらあるのかもしれませんが、これからの自分を創って行くのは自分なのだということが、実感として持つことができました。
そして、自分自身を認めることは、自分が一番自分に対してしてあげることなのだと感じました。

最後に、お話いただいたように、今までのわたしは、自分の中でふたをしてきたことや閉じ込めてきたことがいっぱいあって、それを見ないふりをして過ごしている時間が長すぎて爆発してしまったのだと思います。

そして、目先のことや周囲の人と比較することに頭を使いすぎて、自分の内面の声を聞くことや、自分の中でばらばらになっている感情や意識をできる限り一つに近づけることをおろそかにしてきたように思います。

そうしたことを続けていたから、色々なことがモヤモヤしていたり、よかれと思ってやってきたことが、結果的に周りに迷惑をかけてしまうことになったり、ということに繋がっていたのではないかと思います。

今は、色んな点で立ち止まっている時ですが、自分の内面の声をきちんと聞いたり、自分が心地いいなと思うことを自分の中に取り入れていったりするために、とても大切な時期なのだと、心の底から思うようになれました。
セラピーで見えた未来の自分は、きっと自分自身のこころに素直になることで、そうなっていくのだろうと感じました。

今回のセラピーで感じた「とても自由な気持ち」・「自分を認めている感覚」を忘れずに、焦らず、ゆっくりと進んでいきたいと思います。

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その後もFさんからは、時々、様々な変化のお便りを頂き、お母様とも買い物にいったりと良い関係が築けてきたとのこと。「相手に変化を求める前に、自分も変化していくといいのだなぁと思っています」といわれた言葉が印象的でした。