(※当日の対話がイメージし易いよう、セラピスト=T:、Yさん=Y:の表記を
ヒプノーティス側で追加させて頂いております)
私は泣きたいわけでもなく誰かに怒っているわけでもなく、今までのことには感謝をしていて、それでもつまづいている現実的な問題のことを解消したかった。
T: 「片付けは以前は出来ていたのですか?」
Y: 「絵を描いていた時は出来ていました。人が遊びに来る前も片していました。
兄が亡くなってから片付けができなくなりました」
T: 「その頃と今とは何が違うと思いますか?」
Y: 「絵や漫画が好きで・・・それは情熱でした。桑田佳佑や猫が好きで・・それは愛でした。愛と情熱を傾けるものが無いような気がします」
T: 「では、どうしたらそれが得られると思いますか?」
Y: 「分かりません。。。ああ、ミロクが、パートナーが大事と言っています。
パートナーへの愛と、自分がこれからする仕事への情熱があれば大丈夫だそうです」
T: 「ではそれが実現した未来の自分に会って見ましょう」
すると。 美しい山と、とても大きく綺麗な湖が広がった。 ロッキーマウンテンと感じる。カナダだ。 綺麗で大きな湖のほとりで、美しい雪が残る山が見える景色のところで、魚釣りをしてた。傍らにはパートナーがいる。
T: 「パートナーはどんな方ですか?」
はっきりは分からない。感じたのは、私よりも体格がよく、優しそうで、男の人だという事だ。黒っぽい薄手のセーターのような服を着ているように感じた。上下黒っぽい感じがした。
二人でキャッキャと魚釣りをして遊んでいた。魚が釣れたところらしい。
T: 「あなたは何歳ですか?」と聞かれおよそ10年後の年を言った。
T: 「あなたから見て、10年後のあなたはどんな風に見えますか」
とても。。。とても自然な感じがした。ありのままに生きて楽しそうだった。
ただ全てを自然として受けとっているような。ナチュラルな楽しさと喜びのエネルギーを感じた。とても自然だった。。。としか言いようが無いような。
エネルギー的に場と溶け込み、行為と溶け込み、パートナーと溶け込み、存在する事と溶け込んでいた・・ように感じられた。そこまで言葉には出来なかったというか、その時は違う事を言ったかもしれない。 今その情景を思い出して書いているのだ。
T: 「あなたはそこに住んでいるのですか?」
住んでいるというよりは、好きなところで暮らしている、と言う感じだった。
定住というよりは、もっと伸び伸びとした、暮らしに対する選択をしているように感じられた。
Y: 「ただ好きなところに住んでいるのです」と答えた。
T: 「では、あなたはどうしたら、その夢を実現した10年後のあなたになれると思いますか?」
Y:「ただありのままに、自分の魂の選択に自信を持って。。。」
T: 「それをあなたは理解できますか?」
Y: 「なんとなくは分かるけど、実感としてつかめていないです。。」
T: 「では今から10年後のあなたと、今のあなたが交代します。数を数えると、今のあなたは10年後のあなたに入り、目の前に今のあなたをみる事が出来ます」
そして入れ替わった。 10年後の私はとても落ち着いていた。楽しく、そして落ち着いて、ほほ笑みを浮かべているようだった。気楽で軽い風のような心持だった。
T: 「では今の体に入った10年後のあなたから、今のあなたはどう見えますか?
私は不安そうだった。落ち着いてはいるけど、心のどこかがほんのり不安そうだった。それは持つ必要の無い不安だった。
Y: 「不安そうに見えます」
T: 「では、そのあなたにどう言ってあげたいですか?」
Y: 「自信を持っていい。あなたはもっと感じたままにあることに自信を持っていいのよ。あなたの魂のままにありなさい。感じたままを大切にするの。それを表現していいのよ。そうすれば必ずあなたは幸せになるわ」
そんなニュアンスのことを言ったと思う。
Y: 「私は私のままに自信を持って生きていれば良いんだ。ただ感じたままに、ありのままに」
そう思えることは、心に羽が生えたように自由を感じた。
最後に現実的なアドバイスが来て、とてもバランスの良い気持ちになった。
メッセージを受けとり、再び今の私と入れ替わる。 座っている椅子の感触が蘇る。
そして10年後の自分に感謝をして。
私は満たされてこのセッションを終えた。
セッションではメッセージはメッセージとして淡々と受け取り、あくまで私のテーマの解放に向って流れを創造し。だからこそ、一つ一つのヴィジョンやメッセージが滑らかに繋がって、今の私に気持ちよい影響をもたらしつづけてくれていると感じる。
セラピストの方が、クライアントの潜在意識を信頼してくれているからこそ、生まれる流れ。ほんとうにありがたい。私みたいなタイプは特にかも。