「運命」と「努力で変えられる事」の境目を知る方法

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前回のコラム↓「全ての問題は、たった2つの方法で解決する!」

で、全ての問題は、2つの解決法のどちらかに分類されると書きました。
(まだ読んでない方は、まず前回のコラムをサラッと見ると理解しやすいです)

さて、さらに今日は、目の前の問題が、
A『自分が行動し続ける事で、変化を起こして、乗り越える方法』

B『起った事を、ありのまま受け入れ手放す事で、乗り越える方法』
のどちらなのか、識別する方法について書こうと思います。

例えば、才能とか病気とかって、心の持ちようで変えられるのか、変えられないのか、どちらだと思いますか?

これって、結構難しい問題ですよね。

才能は努力で伸ばせますが、努力でも世界のトップレベルになれるかどうかは、才能かもしれない。
体の不調や病気も、心の持ちようで治る場合もあれば、治らない場合もある。

実は、昨年末から、私も内臓に腫瘍らしきものがあるということで、検査を繰り返していました。

何でも自分の行動を変える事で、人生を変えるのが好きな私は、お医者さんに前のめりで「良くするために、自分でできる事はありますか?」と聞いたら、あっさり「ありません」と言われてしまいました。

それでも、心身に良い事で、自分なりに思いついた「できる事」を50個あれば50個全部やり続けた私。

ただ、最初はできる事を全てやる事に全力で一所懸命だったのですが、2週間おきの検査で変化がないと、「ここまでやったのに・・・」と、どこかで、ガッカリする自分がいたのも事実です。
しかし、それで経過を見ながら4回くらい検査に通ったのですが、特に良い変化もみられず1月末には、手術できる大きい病院を紹介するので、やはり手術したほうがいいかも・・と言われたのでした。

ただ、まだ2センチ程度で大きな腫瘍ではなかったため、1月末に、一旦、数ヶ月様子を見ることに了解をもらった私は、

全ての物事は、AかBのどちらかで解決する事を思い出しました。

ガンになった人が、前向きに人生を生き始めたら、奇跡のようにガンが消えた!
というような話を聞いたことがある人は、多いと思います。

この人にとって、このガンは、「自分が変化することで乗り越えられると学ぶガン」です。
つまりA分類。

ところが、この方法で、全員のガンは治りません。

普段からすごくポジティブだった人でも、生き方を変えても、ガンで亡くなる方もいます。
この人にとって、このガンは、「起こった事をありのまま受け入れて手放す事を学ぶガン」なのでしょう。そうなると、これは、B分類。

つまり、解決法が、AなのかBなのか、同じ出来事でも人によって異なる。

じゃあ、私の場合は、どちらなのか?

そう考え抜いた結果、間違いの無い判別方法がみえてきました。

「できる事を全てやってみると、どちらなのか、必然的にわかる」
ということです。

たとえば、先ほどのガンの例だったら、ガンに良いといわれる事で出来る事が100個あったら、100個全部やってみる。
全力で全部やりきったら、自分の力で変化できるほうに分類されていれば、絶対に変化するはずです。全力で全部やりきって変化がないなら、受け入れて手放すほうに分類されているとわかります。

とことん全力でやらずに、どちらの分類なんだろう・・・と、どれだけ考えても、分からないのです。

全力でやれば変わったものを、全力でやらなかった事が原因で変えられなかったのかも・・・と思いたくない。

それなら、とことん全力でやれること全てやるのみ!

と思った私は、私はさらに二ヵ月半、目の前の出来る事を全力でやる事だけに集中しました。

とことん全力でやれる事を全てやりきってみると、「やれることは全てやったんだから」という清清しさが出てきて、どこかの瞬間に「目の前の現実を受け入れる」強さと潔さが芽生えてくるものです。

当初の「これだけやったから、絶対によくなってほしい」と執着していた気持ちが、どこかで手から離れはじめました。

やれることはやりきって、「ここまでやって、ダメなら、どんな結果でも、それが運命だから受け入れる」と腹もくくれてきた私は、結果を手放して、いままでと全然違う気持ちで2ヵ月半ぶりの検査に望みました。

そしたら、なんと・・・無くなっていたのです!

いままで、ずっと診ていたお医者さんも驚いて
「あれ?ない?うーん、どうみてもないですね・・・(と、さんざん探す)」
「うん、完全に消えてますね。無くなってる。」
「ほんとに、手術しなくてよかったですねー!」
「とても綺麗になっているので、もう定期健診もいらないですよ」
といわれてしまいました。

私も「え~~~~~!!!」と思いましたが、
同時に、この出来事は私にとって「人事を尽くして天命を待つ(A×B)」をより深く学ぶためにやってきたのだなと確信しました。

というのも、私が良い結果に執着していた時は、やれる事を全てやっていても腫瘍は消えなかったからです。だからBも必要だとわかったのです。

ですから、Aだけでなく、Bもセットになった時に、変化が訪れたのだと思います。

そう思うと、なんか今回の出来事にもありがたい気持ちになってしまいました。

もしAである人事を尽くさなかったら、腫瘍は消えなかったかもしれません。でも、もし結果をコントロールしてやろうと思って執着していたら、腫瘍はまだ存在したかもしれません。
Aが欠けても、Bが欠けても、このような結果にはならなかったのでは・・・そんな気がするのです。

「もっとできる事があったのでは・・」と考える余地も残さないくらい死ぬ物狂いで頑張ったら、結果を手に入れても、手に入れなくても、人間はどこかで納得ができる。
死ぬ気で頑張ってきたオリンピック選手なども、最後はそこに行き着くのではないでしょうか。

そして、私が色々な相談に乗っていると、AとBのコンビネーションが必要になるケースも、非常にたくさん存在します。実際は、そのほうが多いと感じます。

人間には、得意・不得意があり長所・短所があり、運動神経や音感や、その他才能にもいえるように、ここまでは努力でなんとかなっても、ここからは無理という部分があります。

しかし、どちらにしても、「やれる事をすべてやり尽くす」というプロセスは、飛ばせない。

人事を尽くさないと、「もし、もっとやっていれば・・(うまくいったのでは・・)」という可能性が、必ず残ってしまうからです。

もし、最初から「何もかも心底受け入れて手放す」ができたら、神様です。いきなり神様を目指したい人はいいかもしれませんが、

やっぱり「やれる事を全てやり尽くす」のが人間にとって、欠かせないプロセス。

目の前に事に対して、出来る事を100%やったなら(A)、
「やれる事をすべてやり尽くした」という自信があるからこそ、
結果がどちらに向かったとしても、自分に、そして人生に納得できる(B)。

※ただ一言付け加えると、AからBに行く時、一度、絶望の谷に落ちる瞬間があります。でも、Aをやり尽くした人は、遅かれ早かれBの岸にたどりつくことができます。

だから、A分類か、B分類か、よくどちらか分からない時は、

人事をとことん尽くしてみること。

そうすれば、自動的に、乗り越えられる時がやってくる。
AかB、どちらの分類だったかも、わかる。

今回の腫瘍さんには、多くの事に気付かせてもらいました。

今回の奇跡的な経験は、きっと私の為だけに起こった事ではないはずです。

人事を尽くせば、必ず(なんらかの形で)乗り越えられる。

この話が、誰かの何かのお役に立てたら嬉しいなと思います。(^-^)


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