現代人が最も退化している能力

カテゴリー: コラム | 投稿日: | 投稿者:

そろそろ春らしくなってきました。

氷川台オフィスの近くの桜も、もう少ししたら咲きそうに芽吹いています。
3月末~4月上旬にお越しの方は、駅から桜並木のトンネルを5分ほど歩いて到着ですので、それだけで気分が良くなるかもしれませんね。

さて、今日は「感じる才能」について書こうと思います。

この「感じる才能」は、現代人にとって、最も退化した能力だろうと私は日々感じています。

特に都会のビルの中で忙しく働いていると、桜を味わうこともないまま春が過ぎ、夏らしいこともせず冷房の中で夏を終え、色づく紅葉も見ずに秋を越し、気づけばウソ!知らない間にクリスマス??
知らない間にまた1年過ぎていた~!という事に、意外となりやすいのではなりでしょうか?

ここまで季節を感じないまま過ごしていても、季節の花や日差し、空の月、今日の風、夜空の星が、いつもあなたの周りにあることに変わりはありません。

でも、「あるけど、ないも同然」そういえば全然味わってない・・。

という人が、東京には随分多いように思います。

昔の私は、忙しい時、こうだったことがありました。
当時は周りにもそういっている人が多かったと思うのですが、その頃の私はやるべき事に追われて、頑張っているのに、どこかで自分を見失っているような、どんどん本当の自分から遠ざかっているのではないかという不安を、どこかに感じていました。

いまでは、その理由が分かります。

感じる能力が退化して、自分がどこにいるのか、どこに向かいたいのか、感じることが出来なくなっていたからです。

いまこの瞬間瞬間を感じて生きていると、「感じる才能」が、どんどん開花していきます。

そうすると「自分がいま何をしたいのか分からない」「どちらの方向に向かったらいいのか見失ってしまう」ということは、どんどん減ってきます。

なぜから、自分の心は「感じるもの」だからです。

人間には、「考える能力(Thinking)」「感じる能力(Feeling)」「行動する能力(Action」の
3つの側面があります。

これを網羅しながら、カウンセリングやセラピーしていくのですが、多くの人が、毎日考える事にほとんどの時間を使うほど大量にしているのに、感じる能力を嫌なことに直面した場合以外、あまり使ってないといません。

嫌なことがあった時感じるのは、たとえば、「足を踏まれて、痛い!」と思うのと同じような「受動的な感じる」です。

でも、風や花や自然は、足を踏みつけたり痛い目にあわせるようなことはしません。

ですから、感じる能力が退化してくると、そういう素敵なものは感じとれなくなってきて、痛いものだけは、しっかり感じらるわけですから、そんな日々を過ごしていれば、当然なんだかモヤモヤしたりイライラしたり、むなしくなったりします。

ワイス博士が、

「いまお茶を飲んでいても、その香りや味を感じて、その幸せを感じている人が、どれほどいるだろうか。ほとんどの人は、美味しいお茶を手にしながら、これはこうすべきだった、あれはどうしてこうなったのだろう?と全然違うことを考えて、その時間に生きていないのです」

とおっしゃっていました。
そして、ワイス博士のクライアントさんで、こんな方がいたそうです。

ある日、彼女はいつものようにセッションルームに入ってきて、ワイス博士に
「私は、世界で一番素敵な木を見つけました!」と言ったそうです。

そこでワイス博士は、どんなすごい木だろうと思い
「そうですか。それはどこにあったのですか?」
と聞いたら
彼女は「私の家の前です」
といって、にっこりわらったそうです。

彼女は家の前にある木を知っていましたが、それまで自分の中ばかりに目が向いていた彼女にとって、それは「そこにあって、ない木」でした。

でも、いまこの瞬間を感じるられるようになってきた彼女には、家の前の木が
「世界で一番素敵な木」
に感じるようになったのです(^-^)

あなたの周りにも、素敵な場所、素敵な自然、素敵な瞬間、素敵な香りがもっともっと(感じられていないだけで)たくさんあるかもしれません。

目をこらして、心を開いて、この瞬間に生きると、(能動的に)感じる能力がどんどん戻ってくるのが感じられるはずです。

そうしたら、自分の心も、もっと感じられるはず。

是非心を開いて、この春を存分に感じて、楽しんでください(^-^)


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