人生が経験で癒される時

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もうすぐ母の日ですね。
セラピーをしていると、お母さんの影響は絶大だと感じます。
年齢退行療法の8~9割近くが、お母さんとの関係に戻るからです。

そういう意味で、お母さんは偉大で、誰もとって変われない大きな存在です。

でも、そんな偉大なお母さんも人間ですから、完璧ではありません。

そのため、どんなお母さんでも、20年間に渡り、一度も子供を傷つけずには育てられないのだということを感じ入ります。(しかし逆もしかりで、子供もお母さんに何らかの形でショックな言動を無意識に与えるのですが)

夫婦でも、友達でも、兄弟でも20年間ずっと一緒にいたら、何かしらはぶつかりあうのが普通です。

ましてや、子供にとってお母さんは世界で一番密接な存在になりやすいので、お母さん独自の愛し方が子供が求めるものと違っていた時や、母が何気なく言った一言で(故意に傷つけようという意図はなくても)子供が受け止め方次第で深く傷ついていることがあります。

ただ、ほとんどの場合「それでも、お母さん大好き」という人が多いのも、またお母さんのすごいところ。
お母さんが自分の時間を削って、子供に多くのエネルギーを割いてきたという、その根底に流れる(目に見えない)深い愛情もまた、しっかりどこかで感じ取っているのですね(^-^)

年齢退行療法をしていると、その方が既に母親になっている人の場合、それがどんな母親であっても(形は間違っていたけれども)母が子供を愛していた部分を(それが100%ではなくても)心の奥底で感じ取って、涙を流す人がほとんどです。

しかし逆に、まだ母親になった事がない人の場合には
「母は、全然自分が望むように愛してくれなかった。だから私は愛されていたと感じない」
と感じ取る事が、(全員ではありませんが)時々出てきます。

その違いはどこにあるのでしょうか。

「いざ自分が母親になってみれば、かなり不完全な自分」であっても、
「右往左往して不器用ながら、子供を愛している」ことを実感している

それをやったことがある人は、母の不器用さや不完全の裏にある深いものを感じ取って、実は受け取っていたものの裏側・大きさに気付くのかもしれません。

これは、仕事でも、同じような場面はあります。例えば、

会社で、上司のダメさに文句ばかり言っていたのに、実際に自分が上司の立場になってみると、部下達は言う事を聞かず、成績は上がらず、試行錯誤しながら

「今では、上司の気持ちすごく分かる」
「昔、上司に注意された事も一理あったなぁ」
「あそこまで注意するなんて、嫌われる覚悟がないと出来ない事だったろうな」
「あのやり方は、今の自分には出来ないことだなぁ」
と、いままで嫌だった上司のプラスの側面がいきなり見えてきたりするように、親子間も全く同じ側面があるのだなぁと感じます。

そういう意味では、人生の新しい経験は、気付きや癒しを生むセラピーそのもの。大変ながらも素敵な瞬間だと感じます(^-^)

そして親になった時も、そうなのですが、親が無くなってからも初めて有難さに気付くという人も多いのです。

私はまだ親になっていませんが、日々自分の家族と話すときに心がけていることがあります。

それは
「たとえこれが最後の会話になったとしても、後悔しない言動を常にとる」
という自分の中のルールです。

人間はいつか死にます。それも、いつ死ぬかが分かりません。

大切な家族に「あの時こうすればよかった」「ああすればよかった」「これを伝えておけばよかった」そんな思いをいつまでも引きずって生きている方も多く、それによって、その後何十年も後悔している方もいます。

そこで、私は感じました。「ならば、いまやっておけばいいのだな」と。

「出来る限りのことはやった」と思える関係に、後悔はありません。

これが最後の会話でも後悔のない会話にしようと思っていると、普段照れくさくて言えなかった感謝や愛も伝えられるようになります。

たとえ親と意見が食い違って、何か自分の意見を伝えたい時でも、いままでと全然違う伝え方をしていく自分に気付きます。

そして、それを聞く側の反応も、何故か段々と変化してくるのです。

思ってもいない事を口走って、死後、後悔して引きずって行くのではなく、死ぬ前に本当に伝えておきたいことを毎日伝えて、後悔のない未来を作り出す。
それは誰にでも出来ることだと思います。

いて当たり前の家族にも、必ず別れの時はやってきます。

もし母の日や父の日、そうでなくても直接家族と話す機会があったら、ぜひ一度自分に問いかけてみてください

「もしこれが最後の会話になるとしたら、私は今日なんて言うかな?」と(^-^)


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