コラム

前世を信じる人・信じない人

私は、前世療法に興味を持った人々やクライアントさんから

「輪廻転生とか前世って本当にあるんですか?」とよく聞かれます。

テレビ「奇跡体験!アンビリバボー」で先週・今週と、催眠療法の中の前世
療法&前世SPが放映されたこともあり、お問い合わせも一段と増えました。

ヒプノセラピー(催眠療法)は、もともとは年齢退行療法に使われていましたが、
年齢退行療法を行う中で、問題の原因となった場所に戻ってもらう際に、
記憶が前世に戻ってしまう人が世界中でどんどん報告されはじめ、前世が
あるないに関わらず、それによって症状が改善するということで、認めら
れるようになった経緯があります。

ですので、前世を証明する手段として存在するセラピーではないのですが、
皆さん「実際にあるのかどうか」はかなり気になるところのようです。
(世界中でも色々な精神科医のグループが、事例を集めて検証しながら、
さまざまな論文や本を出しています)

あなたにとって、輪廻転生や前世があったらどうなるのでしょう?なかったら??

日本では、「ご先祖様が守ってくれている」とか「死んだお父さんは見守って
くれていると思うよ」とかいう言葉をよく聞きます。
またお盆には、死者が戻ってくるという意味で、ご先祖をお迎えしたり、
川にお供え物を流す文化があります。

これは、死んでも人は魂として存在しているという仏教の考え方が、無意識に
日本人の文化に馴染んでいるせいだと思います。

また、元旦には神道も仏教も気にせず、神様にお願いごとをしに、神社や寺に
初詣でにいくのが大半の日本人だと思います。

これも、「神様なんていないから、お願いはしない。でもみんながするから
神社・仏閣を前に木箱にお金を投げ込んで、手を合わせるふりをしている集団」
ではないはず。

そして受験前には、合格祈願をして、合格守りを会場に持っていく・・なんて
ことも、普通に行われています。

やはり何かしらの見えない存在に向けて「~でありますように」とお願いとか
お祈りしているのが日本人なわけです。

神様や輪廻転生を信じると、いきなりオカルトのように捉えられがちですが
そうだとしたら、日本人みんなが無意識オカルト集団になってしまいます。

また、
「前世を盲目的に信じ、前世を否定する人々を軽蔑し馬鹿にする人」と
「前世を盲目的に否定し、前世を信じる人々を軽蔑し馬鹿にする人」は、
「自分の信じる神が一番正しい」といって戦争している人と、さほど変わり
がないように感じます。

輪廻転生は、現時点では絶対的な証明ができないもの。
(証明できていれば、「地球は丸い」みたいに世界の合意がとれているはずです)

だから、前世があると不安になるなら、信じなくてもいいし、前世があると
信じたほうがワクワクして前向きになるなら信じてみるのも悪くない。

全てを前世のせいにして現実逃避でもしない限り、前世を信じても信じなくても
害はありません。

何が正しいかではなく、誰が間違っているかではなく、今の自分の感覚や
価値観を信じて前向きに生きていくこと。

そして同じように、違う意見の人の感覚や価値観を尊重し
「そういう考え方もあるね~」と思って、生きていくこと。

それが一番大切なことであって、真実がどちらであっても、それを
柔軟に捉えたり楽しむくらいの気持ちが持てたら、前世や輪廻を信じても
信じなくても、どちらでもいいのかもしれません(^-^)

催眠で人をコントロールできますか?の巻

私が、職業を「催眠療法士です」というと、みんなに

「え~。催眠術?じゃあ相手を催眠でコントロールできるんですか?」

と、ちょっと目をキラキラさせながら、前のめりで聞かれます(笑)。

「催眠で、人をコントロールすることはできません」と答えると必ず

「でもテレビで催眠にかかったタレントが、猿とかニワトリの真似してますよね?」

と聞かれます。答えは簡単!

「恥ずかしいと思う許容範囲が、人によって全然違うということ」と、
「みんなを驚かせるという前提で、その場の仕事を受けているということ」
という理由によって、あのようなことが起こるわけです。

もう少し詳しく話しましょう。

催眠ショーのテレビで催眠にかけられるのは、お笑い芸人の若手であるケースが
大半だとお気づきでしょうか?
(大御所のお笑い芸人さんは、必ずといっていい程、見る側に廻っていますね)

そして、お笑い系の若手芸人・タレントが、お金をもらい仕事として催眠ショー
に出てきます。

普通の一般人である私達にとて、猿の物まねをするなんて、信じられないくらい
恥ずかしい!と思っています。

でも、若手芸人さんにとって、人前でウケるために猿の物マネをするくらいは、
許容範囲内。しかも面白くなければ、芸人生命にかかわります。
(物マネが恥ずかしくて出来なければ、逆にお笑いタレントは難しいでしょう)

つまり、人は、自分が意識で「出来る」「やってもいい」と思う範囲までは、
催眠状態に入っていてもやれますし、「出来ない」「やりたくない」と思って
いたら、催眠状態に入っていてもできないわけです。

催眠に入ったからといって、体力的に持てない重いバーベルを、いきなり
持ち上げることはできないのと同じです。

さらに、みんなが「何が起こるんだろう?」とワクワクしながら見守り、
カメラが廻っている収録時間内に、猿になってください!といわれた瞬間、
「あの~、やりたくないんですけど」と言ったら、その若手お笑いタレントに、
二度と仕事はこないハズ。

もし本当に催眠ショーのように人が操れたら、フセイン大統領や、金総書記
に催眠をかけてしまえば、問題は、あっというまに解決してしまい、戦争
だって起こりません。拉致問題もすぐに解決するはずです。

ですから、催眠で人をコントロールするのは不可能ですし、相手の意識を
失わせることも無理。

そして自分の意識を失った時、それは催眠ではなく、ただの睡眠です。

これで、少しは安心して頂けたでしょうか??(^-^)

催眠状態は、「ヒプノセラピーとは?」のページで
説明したように、意識と無意識が両方アクティブな状態。

その状態ってどんな感じか知りたい!と思った方は、数ヶ月に一度
プチ体験セミナーをやっていますので、そちらでぜひ体験してみて下さい!

自分を束縛するという事

他人はもちろん、自分自身にさえ縛られたくないという人に時々出会います。

確かに「自分が自分自身に縛られる感覚」は、誰にでもあるかもしれません。

ダイエット、仕事、学業、結婚、その他何でも、何かを決断をすると、それに伴って、自分の行動は制約されます。

たとえば、高校1~2年に、憧れの○○大学へ行きたい!行こう!と決めたとします。
そうすると、その大学が高い目標であればあるほど、入るために、早い時期から日々の勉強を積み上げる時間が必要になります。その時間は、まさに自分の決断に縛られた時間。
みんなが遊びに行くのも尻目に、自分は「いや、あの大学に入るためには、ここで遊ぶのはやめよう」と日々決断する、それはある意味、自分の決断に制限された生活とも言えます。

一見「自分自身が縛られる・制限される生活」というと、相当マイナスのイメージです。
ただ、私が色々な人と話していると、自分の縛り方には2通りあると思います。

ひとつめは、自分の能力や可能性を高めていくために、自分自身を縛ること。

例えば、スポーツ選手や音楽家等の日々の努力と鍛錬は、まさにそれ。
家事や仕事でも、自分の能力をもっと高めようと決めて、何か努力し続けるのも同じこと。

この束縛には、必ず目標となる姿と、日々の行動(To Do)の積み上げが含まれています。

そして、ふたつめは、自分の能力や可能性を制限するための、自分自身を束縛です。

「私になんか、出来るはずがない」「きっと無理」「努力するのはめんどくさい」
だから「しない」「やらない」「諦める」という縛り方です。

例えば、ダイエットは大変だから諦める。頭が悪いから、進学は無理。毎日運動するなんて、しんどいから出来ない。

この束縛は、目標となる姿が決まってないのが特徴です。

でも、これも立派な「自分への(無意識な)束縛」であり、1年後2年後になれば、確実に効果、そして結果を出しています。

ただ、目標にコミットしないことで、結果的に逆方向にコミットしてしまっている事実を見落としがちで、気がついていない人が多いだけかもしれません。

「自分に縛られる」を、「コミットする」と言い方を英語に変えてみると、よりどちら方向に向かっているのか分かりやすくなってきます。

ひとつめはこうなります。
「~を出来るようになるため、毎日(毎週)~することにコミットする」

ふたつめはこうなります。
「~するなんてしんどそうだから(大変そうだから)、毎日(毎週)出来ない自分にコミットする」

あなたはどちらでしょうか?

自分への束縛を、
能力や可能性を伸ばす方向に(意識的に)使っているのか、
それとも
能力や可能性を制限する方向に(無意識的に)使ってしまっているのか。

思うに、自分が自分自身を「束縛する」「縛る」ということから、完全に逃れて生きている人はいないように感じます。

一見マイナスに見える「自分を縛ること」。

それも、使い方と方向性によっては、すごいパワーになるのかもしれません(^-^)

勇気を持って休める人・休めない人

スポーツジムに行き始めて、驚いたことがありました。
更衣室の壁に『体調が悪かったら勇気を持って休みましょう』と大きく張り紙がしてあるのです。

見た瞬間、私は本当に疲れたり体調が悪ければ、言われなくても休むし、大人しかいないジムで、こんな大きく張り紙をする必要があるのかな?と最初思っていました。

ところがジムの方いわく、日本人は具合が悪くても、一旦やると決めたら休むことに罪悪感を感じ、無理にでもやろうとしてしまう人も多いそう。
でも、こんな張り紙を貼らなければいけないのは、世界中で日本人だけだろうとジムの方もおっしゃっていました。たしかに・・・。

そう言われてみれば、日本人は、無理をする=頑張っている、
と思ってしまいがちです。

自分の健康のために行っているはずのスポーツジム。
それなのに体調が悪くても、具合が悪くても、やるべきことを休むことに罪悪感を持って、頑張る事が大切だとどこかで信じて、さらに具合が悪くなる。

思い返してみれば、これはカウンセリングやヒプノセラピーで、クライアントさんと話していても、よく感じる事と同じだと気付きました。

こういう方は、スポーツジムでだけではなく、日常生活や仕事の場でも同じような事を、自分に課しています。
疲労困憊しているのに、できない自分にムチ打って、どんどん色々な事を自分にさせてしまい、ますます疲労困憊していく自分や、出来なくなっていく自分にイライラする。

これを、客観的に見てみるとどうでしょうか?

もしあなたが、疲労困憊してる誰か(もしくはペットなど)にムチ打って、色々やらせて、ますます疲労困憊して具合が悪くなるのを見てイライラするとなれば、きっと虐待だと思われても仕方ありません。

でも、自分自身に大しては、結構平気でそういうことをしている人がいます。

そして、そのような心身への負荷が多くなり、降ろせない状況になると、もともと誰にでもあるマイナスの性質(苦手なもの、不得手なもの)の現れ方がひどくなる傾向が見られます。

そして、最後は鬱症状が出たり、もともと苦手だったものがますます苦手になってしまたり、少しだったあがり症がもっとひどくなったりと、どんどん思わぬ方向に向かっていってしまうことに。

もしかすると、やらないことのほうが、時に(日本人にとって)最も難しいことかもしれません。
そして、もしできなかった場合には、その後、自分を責めて時間を使ってしまいます。

それでは、その時間表面的に休んでいるようで心身は全然休まっていません。それは休んだ罰を受ける時間になってしまうからです。

無断で仕事を休んで他人に迷惑をかけろとか、いい加減になれという事ではなく、時に疲れる時、辛い時、具合が悪い時は誰にでも訪れます。

疲れて休めたなら、それは、今の自分自身をRespectしているということ。

そんな時は、自分を尊重して、もっと自分に優しい時間にしてあげましょう。

そんな時まで、休んだ罰を受ける時間になっては、自分の心身が追い詰められてしまって「窮鼠、猫を噛む!」ということに繋がってしまいます。

でも、なぜ疲れたり辛くても休むことに罪悪感を感じてしまうのか?
なぜ無意識に繰り返してしまうのでしょうか。

もしかすると、そんな自分が出来上がった最初の場面(原因となった場所)に戻る退行療法で、一度、原因を突き止めてみるのもいいかもしれません。

「頭」の自分と「心」の自分

理性の壁が厚くなった現代人。

あなたの「頭」と「心」が思っている「なりたい自分」は本当に同じでしょうか??

そこを意識と無意識の統合状態(催眠状態)で確認してもらうと、あらら、バラバラだった!というケースがたくさんあります。

頭と心の方向性を調整しておかないと、頭と心はバラバラなままで、なりたい自分にはなれないまま、ずっと過ごすことになってしまいます。

みんな、自分の「心」を、「頭」で騙しているつもりかもしれません。
でも、同じところを永遠にグルグルしている自分。
いませんか??

これって、実は「頭」に騙されている結果だということに、そろそろ気付いても良い頃かもしれません(^-^)

今日開催した、イメージトレーニング技法のGIFT(ゴール・ イメージ・フォーカシング・テクニック)を使ったセミナーは、そこの体験をしてもらうプチ体験セミナーでした。

まずは催眠状態で、正直な「頭」と「心」を体感しながら、本当に「なりたい自分」と思っているものが、頭も心も合意しているかを感じてもらいます。
そして、頭と心が統合してきた状態で、「すでに実現してしまった自分」を詳細まで ありありと体験・体感してもらいます。
この「すでに実現してしまった自分を潜在意識で体験する」ところに、GIFT最大の魅力があると私は感じています!

今日のGIFTセミナーでは、最後、幸せで前向きな気持ちで ニコニコ帰って行く方が多く、ヒプノセラピーを前向きに使うセミナーも、とてもいいなと実感しました。

そして参加者の3分の2以上の方が、GIFTの定期開催を希望してくださったので(!)、次回は3月末~4月上旬で一度検討してみようと思います。

数カ月おきに、頭と心の統合状態を確認しておきたいという皆さんのリクエスト。
なんだか深く納得です!

お忙しい中、今日来てくださった方々、ありがとうございました! おひとりおひとりに、心から感謝します。

そして、もし「頭」と「心」の自分が思っている方向性やビジョンが、 本当に一緒かどうか知りたい!と思った方は、次回のセミナーへ確認しに来てくださいネ(^-^)

人が変わる「パワーの源」とは?

セッションに来て、大きな気付きを掴み、自分が望む方向へ大きく変化していく人達がいます。その中にも色々なタイプがいますが、その中のひとつのタイプが
「大切な誰かために変わろうと思って来る人」です。

特に子供を持つお母さん達は、短い時間で、何かを大きく掴み取って帰っていくと感じます。

それでは、なぜお母さんは変わりやすいのでしょうか?

その秘密は、「姿勢」と「動機」にあると思います。

家事と仕事と育児にはさまれて、自分の時間が全然無いお母さん達。

その時間を、ギリギリなんとかやりくりして、子供をあずけて「この時間内でなんとかしなければ、今後時間がとれる見込みがない!何時にはお迎えがありますので」という姿勢でセッションに臨むお母さん。この姿勢で、何かを掴みとらないはずがありません。

そして、この世には、完璧な人間も、完璧な親も、完璧な家庭もいません。だからこそ、子供の頃から、一度も傷ついたことがない人や無理してこなかった人もいないのが自然です。

特に、複雑な家庭環境で育った方は、子供が生まれる前には気付かなかった(もしくは脇に置いていた)「生まれ育った環境からの影響」が、直接子供に影響していく事を感じるようです。それが、今まで見てこなかった自分と向かい合う「時」へと繋がって、セッションにお越しになるお母様も少なくありません。

「私が変わらないと困る人がいる」というのは、時にプレッシャーです。
でも、自分の人生を思い返してみてください。
人って、「自分のためだけ」だと、意外と踏ん張れなかった事はないでしょうか?

例えて言うと、一人暮らしの時は、栄養も時間も、いい加減にごはんを食べていたのに、結婚して夫や子供が出来ると、ちゃんとごはんを考えて食べるようになる人は多いですよね。
チームの競技などで、仲間に迷惑をかけないために、ひとりだとすぐサボってしまう性格なのに、毎日のように続けられた部活なども同じような部分があると思います。

つまり、時に「私が~しないと困る人がいる」というプレッシャーを感じながらも、「大切な誰かのために」日々、一所懸命生きることが、成長や健康に繋がっていく。
実は「誰かのため」だと頑張れる。

お母さん達が、幸せに向かって大きく変化できるパワーの源は、まさにそこかもしれません(^-^)

もちろん、家族を思う母でなくても、愛するパートナーのために、部活の仲間のために、仕事で部下のため、お客さんのために行動している人には同じことが言えますネ。

私は時間を短縮する有能なツールとして、催眠療法をカウンセリングに融合させますが、「やる気があり、時間のない多忙なお母さん達」には効果が大きく、特に向いているなと感じます。

実は、個人セッションで大きな変化をとげ、その後、メールをくださった働くお母様(3児のお母様)がいます。自分と向き合うことで、一歩一歩変化をしながら、過去からの影響を乗り越えていきつつある素敵なお母様です。

Tさんから「私は自分が子を産み、育て、結婚生活をしていく中で、母親のストレスがいかに大きいかを痛感しましたが、これからはそういった母子を含む家族というものを対象に、何かの役に立てれば喜びです」というお言葉を頂き、Tさんからのメールをサイトでご紹介させて頂けることになりました。

Tさんの変化は、家族のひとりひとりにも変化をもたらしました。
Tさんの体験が、多忙ながらも家族の幸せのため日々試行錯誤している、お母さん達の希望になれば幸いです。
年齢退行療法 Tさん

今回、このような形で応援くださった素敵なお母様Tさんに心から感謝します(^-^)

甘え下手なアナタへ

甘える=悪いことのように思われがちです。

たしかに、相手に深く依存してしまうと、相手の負担になったり、
依存によって自分がコントロールできなくなり自己嫌悪したりします。

でも、周りの人(同僚でも友達でも家族でもパートナーでも)に、時々
「意識的に甘える」ということは、精神のバランスをとるのにとても大切。

なぜなら、愛されていて愛に溢れている人が、自然と周りを愛することが
できるように、甘えられる人は、誰かを甘えさせてあげられるから。

赤ちゃんは(自分で何も出来ないので仕方なく)100%周りに甘えています。
そして、誰かに甘えることができた時、本当にご機嫌で幸せそうに笑います。

人は大人になっても、時々、誰かに甘えないと生きていけない状況に陥ります。
仕事で。体調不良で。失恋で。家族のことで、等など。

でも、それって、色々な人の元に季節のようにやってくる「甘える季節」が
めぐってきているだけ。

そこで遠慮して甘えて、甘えている時も悪びれているなら、相手も
「これでよかったのかなぁ?」と戸惑ってしまいます。

春になったら桜を味わうように、秋には紅葉を味わうように、
その季節を味わってこそ、次の季節も楽しめるもの。

だから、その季節は、誰かに思い切って意思的に甘えてみる。

(「心がキュンと温まること」を、英語では「sweet」と表現します)

もし意識的に甘えた後、あなたが嬉しくて笑顔になったなら、心が
ちょっとラクになったなら、そして相手に心からお礼が言えたら、
その「甘え」は、あなたにとっても、相手にとっても、心を暖める
「sweet」な瞬間になることでしょう(^-^)

最後に、
友人RIKOさんがブログに書いていたメッセージがとても素敵だったので、
(ご本人了承の上で)こちらでご紹介させて頂きます(^-^)
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今日のギフト

甘える人がいることのしあわせと

甘えることが出来るようになったことのしあわせ。

肩の力を抜いて

寄りかかってみよう。

全ての愛がこの世でめぐって円を作っていくためには

自分のところで流れをとめないこと。

甘えたり甘やかしたり

もらっては次の人にまわしていく。

そうして全ての愛がこの世でぐるぐるとまわっていき、

この世は愛で満たされる。

今受け取って、そして次に回していこう。

この世が愛で満たされるために。

もらい上手、渡し上手で。

原始時代にキャリアアドバイザーがいたら

ご要望が多かった1day退行催眠のワークショップを2月25日(日)ついに実施しました。
(ワークショップでは、自分がイキイキしていた瞬間、生きがいを持っていた場所に戻るという退行催眠を行いました)

午前からの催眠状態になれるための練習、年齢退行を経て、
一番最後に行った前世退行では、ペアになって、前世退行している相手に少しの間、質問してもらいました。

参加者の中で最も印象的だったのが、前世の職業が「どんぐり拾い」だった人。
どうやらかなり原始的な時代に戻った彼女。

さらに、彼女のペアの方は質問しました。
「今日、何を食べたのですか?」
「どんぐり」

うーん、現代人の予想を超えた答え!

(退行催眠で前世を体験していても、もちろん意識はあるので)質問されて、自分がぱっと答えた後に、その彼女は「え?自分は何を言ってるんだろう?」と思ったらしいです。

でも、そういわれてみれば、昔の人は木の実やどんぐりを食べていたのですねぇ。すっかり忘れていましたが。

原始時代の人材派遣・紹介会社やキャリアアドバイザーがあったら、

「あなたは木登りが得意なので、果実もぎ」
「あなたは重いものが持てるので、荷物はこび」
「あなたは泳ぎが得意なので、魚取り」
「泳ぎはイマイチだけど海が好きなら、あさりなどの貝拾い」

こんな具合になるんでしょうか。なんとも興味深いですね!

その他、 戦地の看護婦、自分の信念を貫いている白髪の研究者、農場開拓者やビジネスをしている人、イギリスの門番、ヨーロッパ中世のお嬢さんまで、それぞれが、さまざまな前世を思い出しました。

今回は、前世があるかないかにこだわらず、どういう形であれ自分の中から出てきたメッセージ解釈して、気付いていくプロセスを大切にできる方ばかりでした。(そこが一番大事ですね)

そして年齢退行や前世退行を通して、昔の自分を感じる中で、今の自分との共通点を見つけたり、昔の自分と今の自分との対話の中ではっとさせられたり、自分の幸せに必要なものが確認できたりと、いろいろな方がいました。

ご参加頂いた皆さん、ありがとうございました(^-^)

この日、午前午後で体験したことは、自分の心の中からの大きなメッセージだと思います。

それをおおらかに受け止めながらの、和気藹々とした時間でした☆

変われる人・変われない人「運命の分かれ道とは?」

世の中には、理想の自分へと「変わっていくことができる人」(Aさん)と、「なりたいと思っているのに、なぜか変わっていくことができない人」(Bさん)がいます。

この2人を分けているのは、何だと思いますか?

能力?優秀さ?それとも、やる気?

私は、多くの方と話している中で、「違いを生んでいる最大の理由」を見つけました。

それは「現実的な期待を持った上で、まず目標の持ち方に気を使ったかどうか」
これが明暗を分けているのです。

もう少し詳しく説明しますね。

例えば、「心」も「体」も、数十年かけて培ってきたものを変化させるには、数時間や数日で激変するはずがありません。(そんなことができれば、世の中誰も困らないですよね)

Aさんは、それを最初から認識して期待を持ち、目標を作ります。
Bさんは、そこを(意識しているようで)認識せずに、期待や目標を持っています。

実は、そこが運命の別れ道。

すぐ変わることが無理な前提にたっているAさんの目標は、とっても現実的です。

<体で例えると非常にわかりやすくなりますので、体で例えると>

Aさんは、いまのプヨプヨ体型を、半年後には、引き締まりボディにしたいと思えば、3ヶ月後にどうなっていればいいか、1ヵ月後にどうなっていたらいいか?では毎日何を続けたらいいか?何なら半年続けられるのか?まで落とし込んで、まずは日々決めたことをやっていくことにします。
Aさんは、3日や1週間そこそこで、体が変化しなくても当然だと思っていますし、まずは一ヶ月くらい続けてから自分の体を観察し、必要なら計画を見直します。

当然Aさんは、通常、数十年の蓄積で出来た「性格」や「心」も、同じように捉えています。

何か本を読んで、自分が「こうなりたい」と思ったときも、じゃあ半年後なら、ここまでいけるかな?と思ったら、後は、日常の行動に落とし込んで、それをまずはやり続けるスタンスをとります。
Aさんは、数日や1週間で、今までの自分とあまり変わらなくても、誰でも最初はそんなものだと思っているので気にしていません。

ところが、Bさんは、例えば本を読んで「変わろう」と思うと、3日や1週間くらい頑張って続けてみます。そして、「あ~私、すぐ昔の考え方をしてしまうから、やっぱりダメなんだ」とやる気を失い、元の生活に戻ってしまいます。
それは、3日~1週間必死に腹筋して「こんなにがんばったのに、まだ理想の体型にならない。ああ、やっぱり私はダメなんだ~」とやめるのと同じようなもの。

半年後。

Aさんは、半年前と比べて、確実に変化しているでしょう。
さらに1年、2年やり続ければ、心も体も、もう以前とは別のスタイルになっています。

では、自分をすぐ責めて落胆して、やらなくなったBさんは、変われたでしょうか?

Bさんは、色々始めてはすぐ自分を責めて止める、始めてはすぐ自分を責めて止めるというのを続けるために、やる気があるわりには、結果がでない上に、さらに自信をなくしてしまうサイクルに入ってしまうケースが多いように思います。

ヒプノーティスのパーソナルイメージトレーニング(GIFT)では、まずは半年後を決めて、そこからさらに3ヵ月後、1ヶ月後、毎日続けられることまでブレイクダウンして、イメージトレーニングだけではなく、日々の現実的な行動にまで落とし込みます。
そして、それを一緒に様子を見ながら、出来たことを数えて習慣化するまで続けていきます。
つまり、セラピストがメンタルトレーナーとしての役割を果たすことで、半年後、確実に半年前とは違う自分になることができるわけです(^-^)

あのイチロー選手がいっていました。

『高いところに行くには、下から積み上げていかなくてはなりません。
常に近い目標を持ち、できれば、その次の目標も持っておくことです。
それを省いて、遠くに行こうとすれば、挫折感を味わうことになるでしょう。
近くの目標を定めてこそ、ギャップは少ないし、仮に届かなければ、別のやり方でやろうと考えられるのです』

イチロー選手でさえも、目標の持ち方によって、挫折感を味わうことがないように気をつけているという事実。

でも多くの人が、それを見逃しているという事実。

「運命の分かれ道」は、思ったより身近なところにあるのかもしれません(^-^)

お金で買える幸せ・買えない幸せ

最近では、紀香さんと陣内さんの結婚が話題になりましたが、5月6月は結婚式シーズン。

この時期は、未婚・既婚問わず、多くの人にとって、「結婚」を考える機会になっているように思います。

実は、昔の私は「結婚なんてしたくない」「結婚して、なんかいいことあるの?」というタイプでした。

「結婚は墓場だ」と思い込んでいた高校時代には、「女ひとりで生きていくために、お金を溜めていかなくては」と親友と鼻息荒く熱く語ったことも覚えています。(まさかそんな私が結婚するとは、当時の自分も友達も予想しなかったでしょう)

そんな歴史を持つ私が、先日本屋で色々な本を見ていると、ふと手にとった本に
「ある女性が、ひとりで生きていくのに、頼れるものはお金だけと、節約を重ねてお金を一所懸命に溜めていた」という話がのっていました。

その瞬間、高校時代の自分を思い出して、他人事に思えなくなった私。

その先を読み進めると、こう書いてありました。

「ところが、その女性が、ある日から会社に来なくなりました。一週間ほどして、彼女は発見されました。実は一人暮らしの部屋で、体調を崩したまま、亡くなっていたのです。後日、家族が調べると、彼女の貯金通帳には3000万以上の預金がありました」

そして、40代の彼女は、老後はお金が頼りといって、周りにも「もし着ない服があったら、教えてね」と言う程、真剣に節約を重ねていたと。

私はこの話を読んで、幸せとは何だろう?と思いました。

そして、昔の私があのまま突き進んだら、歩んでいた道かもしれないと思えて、しばらく本を持ったまま、じーっと考えてしまいました。

人生には、「お金で得られるもの」と「お金では得られないもの」があります。

でも現代社会で、生きていると、ついつい目に見えるものや買えるものの中に、
「確かさ」「幸せ」を求めてしまう私達がいます。

でもセラピーをしていると、お金では買えないものに苦しんでいるのが、現代人なのだと感じます。

中国にこんなことわざ(作者不詳)があるそうです。

お金で「家」は買えるけど、「家庭」は買えない。
お金で「時計」は買えるけど、「時間」は買えない。
お金で「ベッド」は買えるけど、「快適な睡眠」は買えない。
お金で「本」は買えるけど、「知識」は買えない。
お金で「名医」は買えるけど、「健康」は買えない。
お金で「地位」は買えるけど、「尊敬」は買えない。
お金で「血」は買えるけど、「命」は買えない。
お金で「セックス」は買えるけど、「愛」は買えない。

これを見たときに、私にとって「お金で買えないもの」が人生に全部あったとしたら、
「お金で買える物」が無かったとしても、きっと幸せだろうと思いました。

もちろん、ひとりひとりの価値観は違うと思いますが、自分が本当に、欲しいものを見失わないこと。

行き着いた場所が「こんなはずではなかった」場所ではないように、
人生の優先順位を見極めていくこと。

頭で考えた優先順位と、心の優先順位。

その優先順位が一緒であれば、手に入ってからの日々の苦労はあっても、
人生の幸せ・豊かさから遠ざかることは無いのかなと思った瞬間でした(^-^)